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則山ほうげつさんにインタビュー

以前、友人の繁田さんに編集をお願いして水曜文庫発行のフリーペーパー「雲箋」に載せた則山ほうげつさんの作品についての文章を下記に。作品の写真の下、長い文章です。お時間のある時にお読みいただければと思います。





水曜文庫に則山ほうげつさんの作品を飾っています。何というか説明のしづらい作品です。皆さんが興味深そうに眺めている後ろから何とか作品の説明をしようといつも苦心をしています。描かれた絵、図版のコラージュ、デジタル・アート、板絵・・・・、いっそ話を聞いて文章にしようと思いました。もちろんぼくが説明などせずともこれまで何枚も売れていて、わざわざ大きなお世話だという恐れもありますが、ここはもうひと踏ん張り!というかノリヤマさんはとても変わった人(失礼)なので、一度話を聞きたかったのが本音です。
あまり話をする人ではないのでテープ録音中無音の部分の多いこと。でも何か面白いことが聞けたように思います。
皆さま、また作品を見にいらしてください。


ノリヤマさんの現在の作風について
市 まず、今ノリヤマさんが作っている作品は何なんでしょうか?何と呼べばいいんでしょうか?

N カテゴリー分けに興味はないんですが、無理に言えば「平面美術」かな。

市 いや、お客さんに「これはどういう物なんですか?」と聞かれるんですよ。「平面美術」と言われてもなかなか理解できないですよ。

N でもさ、カテゴリーのない新しいものだから、どうにもならないよね。まずカテゴリーを考えて作品を作るわけではないでしょ。無理に言えば「板絵」と言えばいいのかな。

市 でも板に直接描くのではなくて貼っているわけでしょ。

N そうだね。だったら「デコパージュ」というのかな?でもそれともちょっと違う・・・。やっぱり説明できないよ。

市 それではかいつまんで作業工程を教えてください。

N まず鉛筆で下絵を描きます。色を塗ってしまうこともあるんだけど、その下絵をパソコンに取り込んでそこで色を塗ったりいろんなテクスチャーを貼りつけたり加工をします。絵が完成したらプリンターで印刷をして、板に張り付けて、その板もさまざまいじるんだけど、ニスを塗ったり加工をして完成します。簡単に言えばだけどね。

市 ぼくがお客さんに説明するのに、プリンターで出力したものを張り付けてできてるんですよというんですが、でもそんなに簡単なものではないんですよね。
パソコンで作るアートというとなにかフェイクというか自分の力以上のものをパソコンに仮託して作られているように思われるんだけれど、そうじゃないんだということを説明するのがとても難しいんです。
ノリヤマさんに言われて「デジタル・アート」の概念を調べて、プリンターで出力された絵はすべて版画であり、芸術作品なんだという意味もある程度はわかるんですけれど、さらにパソコンで作る方が手間も費用も余計に掛かるんだという実際のこともわかるんですが、それをお客さんに言ってもやはり全部説明したことにはならないような気がします。
今の工程を聞けばとてもマニュアルにことが進んでいきますし、ノリヤマさんでないと作れないものなんだということがわかる。コピーはできないわけですから・・・・。

N だからうまく説明してよ。君はそれが仕事でしょ。

市 うーんそう言われても・・・。今水曜文庫に掛けているような作風の作品はどうやってできて来たんですか?

N 最初はイコンの模写をしていました。何度か作っているうちに面白くなってきて、いろんなテクスチャーを組み合わせたりつぎはぎしたりで単なる模写ではなくなってしまって、そのうち、これは自分の描いた作品にも使えるかなというくらいになってきて、今こういう作品になったということかな。

市 中世の写本の図版もコラージュに使っていますよね?

N うん、イコンの画像を探しているときに写本の挿絵を見つけて、こりゃ面白いなと思ってそうした画像も使いました。コラージュしたりいろんな加工をしたりしてね。やっているうちになんだかものすごく複雑なことになってきて、面白かったんだよね、そういう作業が・・・。
最初はね、うちの店(カヅサーナ)にスペインで買ってきたイコンを装飾として置いておいたんだよね。それをお客さんが興味深く見ていたもんだから、こんなのを作ったら売れるのかもしれないってまるっきりの模写を作ったんです。全然売れなかったけどね。それが今の作風の最初で、それからだんだん変わってきた。
今作ってるのは前に作ってたものより絵を貼る板の作り方から、絵だってパソコンのなかでかなり加工している。いろんな図版から切り貼りをしたり、手で描いたものをスキャナーで取り込んで継ぎ足したり、色はすべて変えるしね。切り貼りをするからバランスを整えるために画質も変えたり大変なんだよ、ほんとに!

市 プリンターで出力するというと同じものを何度でも作れるんだということになるけど、まず板が違うわけだし、ノリヤマさんに前と同じものを作ってくれと頼んでもどこか違うものをどうしても作ってしまうし、気に入らなくなってしまうんですよね?

N 作品を完全にしたいという欲望は作っている人なら誰にだってあるでしょ。いくらがんばって作っても満足することは無い。だから同じものはできないんです。
それから、たぶんぼくの作るものは過剰なんだよ。ありとあらゆるものをぶち込んで複雑な味わいにした上で際立った輪郭を持つバランスの取れた作品ってのをイメージしている。だからそういった複雑な工程をつなぎ合わせるのにコンピュータは必須なんだとは思ってるよ。

ノリヤマさんの芸術的生活
市 ノリヤマさんは今日乗ってきた自転車も黒にさらに黒が塗られていて、さらに鳥の羽なんかがくっつけられていてとても変わっているし、自動車も自分で塗ってしまったんですよね?一度家に遊びに行きましたけど、とても変わった家に住んでますよね。ごつごつした自作の家具もたくさん置いてあるんですけれど、新しいものをわざと古びさせたり、機能的な部分が芸術的出来栄えのせいでスポイルされているというか、ぼくはとても素敵だと思うんですが、ご家族はどう思ってるんだろうと聞いてみたい気もするんですが、それにもっとぼくの知らないとんでもないようなことをたくさんしていると思うのでご家族には聞いてみたいことは多々あるんですが、とにかくどうしても塗ってしまったり、加工してしまったりしてしまうんですよね?

N そりゃあだって自分が作るんだから趣味嗜好が出てしまうのは仕方ないじゃないか。

市 そういう生活スタイルというのはいつからなんですか?

N うーん、小学生のときかな。兄貴の本棚から現代美術の本を取り出してきて読んだりしていたんだけど、そのなかで一つ気に入った絵があって、その絵を自分の勉強机の椅子が入る部分、机の下の奥行きの先の壁に模写をしたことがあったな。

市 なんか隠微な感じがしますね。

N 潜らなきゃ見えないところにどうしてかわからないけど描いたんだよね。
そのあと、中学生くらいかなあ。引き出しのなかからいろんなもの、貝殻やブリキのおもちゃだとかを取り出してきて、それを板に立てたり寝かしたりしてその上に銀のスプレーをかけて絵具をブチューと垂らして現代アートっぽいものを作ったりしたのを今思い出しました。「これは素晴らしい、画期的なものを作ったな」と自分ではほんとに思ってずっと飾っていたんだよ。誰も何も一言も反応がなかったけどね。でも自分では「これはいいなあ」と思ってたんだよね。

市 ノリヤマさんの子供時代って想像ができないんだよなあ。
でも、そうしたらお兄さんが美術が好きだったんですよね。

N まあ、そうだったんだね。

市 マンガは書かなかったんですか?

N 描かなかったな。流行ってたんだよ。うまい人は「あしたのジョー」の模写をしたりしてたけど、オレは一切描かなかった。

市 その時から絵を描く「絵描き」というより「造形」を作るのが好きだった?

N そんなことはないよ。マンガは描かなかったけど、教科書の余白に絵を描くことだってあったよ。

市 どんな?

N 海岸の防波堤のコンクリの上にカピカピになった魚がいてその隣にタバコの吸い殻が落ちてる絵とか・・・・。

市 中学生が?

N いや、高校だったかもしれないけど。
大体絵は学校で描かされるでしょ?それってそんなに楽しいことではないんだよね。でもね、自分で作るのは楽しいんだよ。絵でも造形でもいいんだけど、とにかく自分で作ることの面白さを見つけちゃったんだよね。だから昔から変わらないといえば変わらないんだ。

市 でもカピカピになった魚って・・・・。美術部とかには入らなかったんですか?

N 全然。高校のとき、美術部は女ばっかりだったし、自分でも美術が好きだなんて思ってなかったし。

市 どんな生徒だったんですか?

N 暗い目立たない生徒だったかな。

市 カピカピの魚ですもんね。

N 二週間に一回音楽の授業があって、だから先生には月に二回程度会ってるはずなんだけど、3年生の3学期になって先生がオレをまじまじと見て「お前いたのか」って言われたことがある。愕然としたね。ダハハハ。そういう感じ。

市 大学で美術は?

N いや、理系、原子力工学を勉強していたんです。やりたいと思って入ったわけではないんだけれどね。だから二年ほどでやめてしまった。

市 ほんとですか?じゃあ浜岡で働いていたかもしれなかった。東電かもしれないじゃないですか?

N うん、そうだよ。当時は原子力工学なんてまだ珍しかったからね。そういうところで働いていたかもしれない。

市 でも、二年でやめてしまった。そのあとは?

N 東京に出たんだね。仲間とバンドをやったりバイトをして暮していたんだけど、そうしているうちに美術の専門学校へ行かないかと誘ってくれる人がいて、セツ・モード・セミナーへ通うことになった。東京に出たてで一週間誰ともしゃべらなかったり、そんな時期だったから・・・。

市 ああ、ぼくもそうでした。一か月にいっぺん大家さんに家賃を持っていくときだけ人としゃべった。

N だから学校にでも行ってみるかと思ったのかな。その頃から本格的に絵を描き始めたんだ。
でもその前に、大学で下宿しているときに、それまで絵のことなんか何も考えてはいなかったんだけど、なぜか急に描きたくなって、描いてみたら面白いものが描けたんだよ。その時にハッとした覚えがあるな。なにか、こういう風に自由に何の制約もなく描くってことができるんだということに気付いたというかね。
でも、もちろん中学生くらいから自分で勝手に描くということは、さっきも言ったようにやっていたんだけれど、そんなことすっかり忘れていて。描かされる絵ではなくて、自分で描く絵はとても気持ちがよかったし、実際いいものではなかったかもしれないけれど、自分にとってすごく好きなものができたんだよ。
絵具で描くだけではなくて、ビニールテープを小さくはさみで切ってそれをペタペタ絵の上に貼っていく。

市 ペタペタってまたなんでそういうことを・・・?

N いやだからそういう行為が自由なものに感じられたんだよ。自分で作った手法で作品を成り立たせることができる満足感というかな。

市 うーん、前に好きだと聞いた郵便局員のシュバルを思い出してしまいます。一介の郵便配達夫シュバルが配達の途中で拾った石を積み上げて自分の庭に理想宮を建ててしまったという・・・。何かそんな自由さを想像してしまいますが。

N それはよくわからないけど、与えられたものでなくて自分勝手に作っていったものが作品になってしまうということが面白いんだよ。形式的なことではなくて、誰かに絵を習うとか、真似るということじゃなくてね。自分だけのオリジナルであればあるだけ満足度が高いんだよ。

市 けど、それを持っているというのは幸せなことですよね。普通の人には持ちえないものですもんね。

N いや、普通の人のことはわからないけど、ほかに幸せなことがたくさんあるんだろうし、オレは何かが欠けてるからそうなのかも知れないし。

市 それで専門学校では絵を勉強したんですか?

N デッサンはたくさん描いたよ。でもね、その学校で描けば誰もがどうしても長沢節先生のデッサンに似てしまうし、だから誰かのもとで勉強すると、最初はそうなんだろうけど、誰でもみんなその先生の絵になってしまうんだと違和感はあった。
でも細密画を描かされたのは勉強になった。10枚くらい軍手とかコップの細密画を描いて来いって宿題があって、勉強にはなったけどね。

市 その後静岡に帰ってきて結婚をして、お仕事をされながら、子育てもして、絵を描いたり造形をしたりしていたんだと思いますが、物を作ることをどのように考えていたんですか?

N 楽しみだよね。自分だけの個人的な楽しみ。でもそれが高じてくれば人にも見せたいとか発表したいと思うようになるよね。
でもさ、意外にというか、自分で思うよりもオレは完璧主義みたいで、こんなんじゃまだダメだってずーっと長く思ってたんだ。だからほとんど個展もやってこなかった。

市 シュバルはきっとで生きてるうちは変人扱いだったと思うから、ノリヤマさんがちゃんと人に見せたいって思ったのはよかったな。
でも、少しは美術を勉強したといってもほとんど自分一人で作風というか技術を作って来たんだと思いますが、それほど積極的に美術家として名を成そうという感じでもないし、仕事をして、子どもを育てて、それでどうして物を作るモチベーションが途切れないのだろうと不思議に思います。

N そう言われれば自分でも不思議に思うけど。

市 ノリヤマさんは、ぼくから見てとても変わった生活スタイルを持っていて、つまりは生活がある意味作品を作る手段にさえなっているようにぼくには見えるんです。家の内装もすべて一人でやってしまうし、たくさんの植物やコケを栽培したり、家具を作ることは今の「板絵」を作る基盤にもなっているように思えるし、生活が作品に収斂されてくようなふうにぼくには見えるんです。
普通は反対で年月とともに生活の中に取り紛れていくでしょ?
ノリヤマさんが人と違うもの、自分だけの表現にすごくこだわっているんだということがわかってそれだけでもとても面白かったんですが、でもやっぱりそのモチベーションというか、持続はすごいなあと思いました。

N まあいろんなことはやっていますよ、昔下着のパンツを作っていたことがあったな。当時はユニクロなんかなくて、手頃な値段のかっこいいパンツがなかったので、ボロキレをビニールに詰め込んで売っていた布を買ってきて縫って作った。他にもいろんなものを縫って作ったのでミシンは結構使うことができる。編み物だってできるよ。
植物と自然農法に凝っていたときは、育てたブドウを収穫してワインを作ったり、植物園に行って拾ってきた珍しい果物を使ってリカー漬けなんか作ったりしたな。

市 一つ想像ですが「絵を描かされる」ということにものすごくノリヤマさんは反発するんですが、そうして何かを押し付けられるとノリヤマさんはとても我慢ができない、普通の人よりも強烈な勢いで萎えてしまうんではないですか?

N 萎えてしまうというかものすごくストレスにはなるよね。体にきちゃう。
若いときなんかはすぐに爆発したよ。オレは野球がとても嫌いなんだけどね、自分の結婚式の時にさ、なんだかいろいろ困難が重なってきて、だんだん我慢が出来なくなってきて、タキシードを着なくちゃいけないとなった時に、タキシードの下にどこかから借りてきた野球のユニフォームを着て自分の結婚式に出たんだよ。

市 それは反抗のつもりなんですか?

N いや、なんだか自分でもよくわからないけどさ。

市 やっぱり今度は奥さんと娘さんに話を聞かなくちゃ。

ノリヤマさんの興味
市 中世の写本やアウトサイダー・アートや子供の絵に対するノリヤマさんの関心を考えていて、ぼくは非合理な世界への憧れというか、合理的に見える現代の社会に対するアンチ・テーゼなんじゃないかと、ぼくの対抗文化志向に引き付けて言えばそう思うのですが、どんなふうに思いますか?

N それはよくわからないけど、アウトサイダー・アートや子どもの絵に異世界への入り口のようなものを感じるんだよ。
小さい頃「死んだらどうなるんだろう」って誰でも考えたりするよね。考えて、もちろんわからないんだけど、夜中にふとその入り口みたいな場所のトバ口まで入りかかって、怖いんだけれどうっとりする感覚ってなかった?そういう状態の記憶がオレには人よりも良く残っているのかなとは思う。

市 ぼくは小学生のときに、家族で食卓を囲んで食事をしていて、両親・弟が本当は人間もどきで、ぼくが寝た後に顔の皮を外して宇宙語で人間を滅ぼす内容のことを喋っているという妄想がずっとありました。
だからというか、人間もどきなんていませんけど、合理的に見えるようでいて、世界なんて一枚ベールを外してしまえば全然合理的ではなくて、第一偉そうにしているけど死ぬことすら説明できないんだから・・・・。そういう意味で非合理的な世界といったんです。

N 誰でもそこに行った方がいいとオレは思うんだよ。カッチリ決まった世界から少しずれてみるのもいいと思うんだよ。なぜかわかんないけどね。

だん君 その異世界の入り口みたいなものがあって、それに対峙したいという意識が創作につながっていくんですか?

N 何なんだろう?対峙したいといより憧れのような感覚もあるんだよ。説明するのが難しいけど・・・・、異世界を深くどんどん行けば死につながっていてさ、でも怖いだけではなくて、とても引き寄せられるものがあるんだよ。いやこんなこと言葉にしたことがないからよくわからないけどね。

市 だから「死んだらどうなる」とか「空はどこまで」とか「なんで風が吹いてみんなが生きてるんだ」とかそういうことを子供の頃考えるけど忘れちゃうんですよね。そんなのわかりっこないから。

N いやだからそれを忘れたくないわけよ。

市 おっさんたちが酒も飲まずにこんな話をしていいのかどうなのかわかりませんが、見えないものが見えちゃったりという体験は?

N ないよ。やめてくれよ。でもね、見たいと思ってれば見えることもあるし、そう思わなければ見えないし、暗闇の中でね、だから見えないものが見えたってのは実際にあることだし、でもそれを言葉で言ったところで仕方のないことなんだよ。でも少なくとも「怖い」と思うことは異世界を感じてるということだよね。

市 特に幽霊と親和性があるとか・・・?

N ないよ。一度だって見たことないよ。
だけどやめてくれよ。「異世界」とか「死」ってほかに何か言葉を考えてくれよ。せっかく宣伝してくようとしてんのかもしれないけど、読んでる人が引いてしまうじゃないか。もっとファンタジーな感じにしてくれよ。そういうのがいいよ。

市 うーーん・・・。
ノリヤマさんの作品をただ絵と言えないのは、額縁まで一緒くたに作ってしまうところですよね。

N 額を買って絵を入れるだけだと平面絵画を入れる「窓」になっちゃうでしょ。せっかく描いた異世界が窓の向こう側で完結してしまう。それを部屋のこっち側、日常の方へも少し持ってきたい。だから額も加工するんです。一般の絵画の本筋がキャンバスの内側へと向かう視線の先の何処かへの窓だとすると、オレのはもっと生活の方へ入り込んでくるものでありたいというのかな。

市 ノリヤマさんの作品に一番特徴的だと思うのは時間の扱い方だと思うんです。自転車でも家具でも新しく買ってきたものを古いものに加工してしまうし、作品も時間の操作に大分手間をかけているように見えます。

N ぼくが描く中世の社会や人、それにぼくが好きな子どもの絵やアウトサイダー・アートも、今の人や社会と較べるといろんなズレを持ってるんじゃないかと思うんだよ。ぼくは学者じゃないから想像の範疇だけれど、神や悪魔や魔法を信じていたり、遠い国には恐ろしい怪物が住んでいると信じていた。現代人とは違うものを見て違う世界に住んでいたんじゃないかと思う。世界の見方が違うんだよ。今の人では考え付かないような思弁を持っていたりとか、時間軸が違うだろうし、死生観が違うだろうし、だからそのズレみたいなものを描きたいというのかな?

市 先日読んだんですが、「それ以前は自分にとって世界は生きるのにふさわしいかそうでないのかを問うようなものではなかったのに、第二次世界大戦以降世界はそのようなものに変わっていった」というふうにたった50年前でもずいぶん生きてる質ってのが違うわけですよね。偉そうに現在は世界は自分にとってふさわしいなんて思ってるわけですよね。

N 別に現在のことはあまり興味がないんだ。ズレのなかに魅力を感じるんだよ。

市 そのズレをぼくの言葉でいうと「合理性のない世界への憧れ」になるんです。

N 合理性のある現在とない世界とに分けて、ただない世界、アナーキーな世界を表現しても誰にもわからない。合理性のある世界とない世界の間にはいくつも中間的な段階があると思うんだよ。だからいきなり合理性のない世界を提示しても、拒否されるか全く反応しないかのどちらかになってしまうので、少しだけずれた世界を何かで表現できたら面白いんじゃないかなと思う。そういう世界ってみんな少し好きで、そういうモノに触れることは生きてく何かの糧にもなるだろうし。

市 なんかそのアナーキーな合理性のまったくないみんなが完全に引いてしまうような絵というのももしかして描けちゃうんじゃないか、ちょっと見てみたいとも想像してしまいます。
でも今までいろいろ聞いてきたことを反故にするようで悪いんですが、ノリヤマさんが自転車や家具を実用性をスポイルしてまで加工してしまうという情熱はそういう言葉ではなくて、どうしてもやってしまうんでしょ?

N あなたがそういう質問をするから考えて自分のなかを探って言葉にしてるだけでさ、「憧れ」って言葉も嘘くさいくらいに言葉以前の問題だよ。好きだからやってるだけなんだ。大体作品を作るときには何も考えないようにしてる。考えて作っても面白いものはできないしね。わかんないからやってて楽しいんだし。

市 最後に老人とはもちろん言いませんが、ぼくより年上ですし、表現が年齢とともにどう変わって来たのか、後学のために教えていただけますか?

N 君なんかよりぼくのほうが若いと思うけどさ・・・、若いころは怒りや焦りや幸福感が原動力となっていて、描き始めて終わりまで間をおかずに一気に仕上げていました。今は毎日少しづつ淡々と描くことができるよ。
若いころから描きたいものそれほど変わってなくて、ただ技術が追い付かなくて思うような作品ができなかった。手先の技術だけじゃなくて、制作に対する心構えや気持ちの持って行きかたもうまくなったのかもしれない。若いころは、まず何を描くか、構図や配置、全体の構想にずいぶん時間がかかったけど、今は時間さえあればすぐにでも描き始めることができるようになった。

市 本日はどうもありがとうございました。