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さすらい姉妹「谷間の百合―NAKED−」静岡公演前売りのお知らせと、先日の桃山邑さんによる静大特別講義の模様を

谷間の百合―NAKED−」の前売りを始めました。7月25日スノド・カフェ、26日水曜文庫どちらでも一回観ることができます。重ねて告知をいたしますが、さすらい姉妹は先ごろ「あらかじめ喪われた世界で」の公演で巷間を沸かせた水族館劇場の別ユニットです。強く、乞うご期待を!!

7月25日(木)スノドカフェ 会場19:00開演20:00 前売り1500円当日2000円
第一部 芝居「谷間の百合−NAKED」
第二部 対談「水の星座は銀色の夢をみるか−河原者芝居の現在−」鈴木大治(水銀座)vs.桃山邑(水族館劇場

7月26日(金)水曜文庫 会場19:00開演19:30 前売り1500円当日2000円
第一部 対談「火山列島、至るところで落花狼藉−追憶のハイウェイ80'S−」
第二部 芝居「谷間の百合−NAKED−」


それに先立ち先日水族館劇場の桃山邑さんが静大で特別講義をされました。その模様を、甚だ拙いものではありますが、下記にお伝えいたします。




昨日6月29日、静岡大学、小二田誠二先生の特別授業にて、水族館劇場の桃山邑さんの特別公開講座がありました。静大まで自転車でやっと着いた!と喜ぶも教室は山の一番上の人文学部の教室、ヒーヒー言いながらたどり着いた。

桃山さんは土方のいでたち、地下足袋ニッカボッカに鉢巻姿の正装で登壇。

まず劇団員たった三人で筑豊炭鉱を大八車で巡業した最初の公演(1987年「星澄ム郷へ」)から現在(2013年「あらかじめ喪われた世界へ」)の大量の水を仕込んだ巨大な舞台装置を形作ってきた水族館劇場の歴史をダイジェストした映像を観る。

講義

既存の劇場で行われる「額縁の中の」演劇(八十年代の小劇場運動)と、DIYで小屋からすべてを自分たちで作り上げてゆくテント芝居との差異。
最初に加わった劇団、曲馬館と桃山さんの関係はテントの建設作業の要員としてだった。そこから始めた活動のなかで演劇と建築は桃山さんにとって同列に育っていった。それが水族館劇場のスペクタクルにつながってゆく。


「現代河原者」を名乗る意味。
芝居小屋は歌舞伎の時代から悪場所である。ケガレの場、禍々しい場所である。舞い、踊り続けることは世間から降りることである。だから権力者たちは彼らの住居を都市の周縁へとまとめ柵地として管理しようとした(したができなかった)。刑場、廓街、そして劇場が現在の寄せ場と隣接してあったということをアース・ダイバー的な視点で見ること。
悪場所=アジールを作り出すこと。


水族館劇場の別ユニット、さすらい姉妹の巡業芝居『谷間の百合−NAKED−』(七月静岡公演予定)について。
またこの講義「藝能の始原を求めて」というテーマ。

谷間の百合」の主人公、ストリッパーとして一世を風靡した一条さゆりはなぜ引退したのち釜ヶ崎へたどり着いたのか?社会からはじかれてしまった者たちが集う町に一条さゆりが「芸能の始原」を感じたからではないのか?吹き溜まりへただ吸い寄せられるようにしてたどり着いたのではなく、行き着くべくして選んだのではないか。彼女は不幸の中で死んだとは思えないと桃山さんは話した。歌舞伎、それ以前の能のなかに「芸能の始原」はあるが、それが寄せ場の中にもあるのではないか?

終わりに
桃山さんは「乱歩の『うつし世はゆめ、夜のゆめこそまこと』という言葉が好きだ。」と話された。こんなことはわざわざ言うことではないかもしれないが、若い人たちの前だからと断って、芸能は観に来てくれた人たちに「おもてなし」の心を持って帰ってもらうことだと思う、と言う。先の乱歩の言葉ではないが、あわいのなかに、さらして隠し、隠しながらさらして、表現していきたいと締めくくった。きっと「おもてなし」という意味のなかには、文化人類学網野史観など広いパースペクティブがあったと思うが、次の授業に教室を明け渡さなければならず,ここまでとなった。