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前回の映画☆おにいさんのシネマカフェの様子と次回の告知

「本のある場所」「傘」「帽子」「並ぶこと」「椅子」とテーマを決めて、それらテーマは映画にどのような影響を与えるのか?それらテーマをキーワードに作品を観るとどのように映画は今までと変わって観ることができるのか。この会はだからもう少し先まで映画を観る楽しさを増すための会なのだと思うのだけれど、今回の「コロス」というテーマは先のテーマよりさらに楽しむということに特化した会だったように思います。だからこそ映画☆お兄さんは映画をかける手を停めいつもよりも長く話をし、ぼくらにも求めたような気がします。

今回のテーマは、「殺す」ではなく、コーラスの語源である「コロス」です。
コロスは、古代ギリシャ劇に出てくる合唱隊のことです。
コロスは、ときに踊ったりしながら、劇中場面の説明や登場人物の心境、観客の共感や反感を歌っていました。
映画☆お兄さん言

「コロス」が明らかにしたのは映画/演技/物語の不自由だったようにぼくには思えました。
現実にはありえない禁じ手ともいえる「コロス」という技法を取り入れるのは、映画という虚構作品をより現実へと近づける、だからそれはどこまでも反語的な技法なのだと思います。
ぼくは最近テレビでサスペンス劇場を観るのが面白くて、それはみんなが嘘なのに一生懸命真面目に演技をしているのを観るのが面白いという性格の悪い見方をしているのですが、やはり演技というのはとてつもなく恥ずかしいものであり、だから演技をする者・観る者以外の審級を担うもう一つ別な次元の存在がたまに必要になる、異化が必要になるのではないか、それをコロスが担っているというふうに思いました。
またコロスというのは歌(メロディーと詩)ですが、異化作用には言葉も大切なのはもちろん、でもとりあえず歌ってしまう、歌ってしまえばどうにかなる、もう歌ってしまえという、物語を先へと推進させる大きな力にもなっている。「とりあえずやってしまえ」という思想は、現実がまったくその通りであり、人生など成り行きでしかないのだから、論理的に構成されたドラマをカオス・混淆すなわち人生へと導くのだと思いました。

映画☆おにいさんは、『タバコロード』(ジョン・フォード、1941)と『彼岸花』(小津安二郎、1958)の二つの映画について「不在を現前化させるコロス」という美しい文章を書いています(http://gogolatalante.hatenablog.com/entry/2016/01/03/111104)。明確に語ることはできないことを撮るという映画の美しさ、ぜひともご一読を。
またこの会では、なかなか観ることに体力を使うような映画を観られることが一つ大きな魅力なのですが、ストローブ・ユイレの映画『アンティゴネ ソポクレスの《アンティゴネ》のヘルダーリン訳のブレヒトによる改訂版 1948年』について、人間ごときの“物語”をみるのではなくて、ユイレの映画は人間を取りまいているモノたち、地面(実際なんの変哲もない地面を延々と見せられます)や風、つまりは宇宙について撮られているのだという参加者の方のお話には得心しました。
さまざまおもしろかったです。

次回映画☆おにいさんのシネマカフェは2月13日(土)18:30より、参加費800円。テーマは「倒れる」です。ぜひご興味の方はご参加ください。 
詳細は下記に。
http://gogolatalante.hatenablog.com/entry/2016/01/14/210321