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講座=本を作ること=第一回目を終えて

4月21日(月・祝)、「講義・本を作ること」として、長く新潮社に勤められていた鈴木藤男さんにお話を聞く会を行いました。水曜文庫にて「読書談義」という読書会をしているのですが、そこで毎回いろんな本のお話をしていただいている鈴木教弘さんが鈴木藤男さんに聞いていただくという形で会を進めました。参加者は13人、15時半より二時間ほどの会。

今回のテーマは「翻訳書」について。
洋書がどのような手順を経て和書として本屋の店頭に並び読書の手に渡るのかということについてさまざま伺いました。鈴木藤男さんはずっと営業部にいらした方で、もちろんとてもたくさんの本を読む方なのですが、だから編集者よりももう少し読者に近い立場でもあり、また本の内容のことはもとより紙でできている本の「作り」ということ、流通ということに精通されているため、編集者の書く本は数ほどあれど、毎回新しい発見があります。

懇意にされていた億単位の年収があった「百万ドルを取り返せ」を訳した翻訳者のお話、「飛ぶのが怖い」(ジョング)がいきなり文庫で発売をされた経緯、スティーブン・キングの版権を新潮社が取れなかったお話、夏の書店フェア「新潮の百冊」が生まれた経緯、塩野七生ローマ人の物語」を作った敏腕女性編集者のお話など。
翻訳書とは直接かかわりませんが個人的にとても面白かったのは、新潮社とスピリチュアリズム天皇といわれた斉藤十一、そこからなぜ新潮社が幻想文学に行かなかったのかという件は初めて知りわくわくしながら聞きました。

本、文学というものがオーソリティのものから一般大衆化をしていく過程、7・80年代の出版界にあって、それに抵抗する大文字の文学好きの編集者たちがたくさんいるなか、鈴木藤男さんたちが「新しい文学」を評価しようとしてきた過程がよりよく理解ができたような気がします。
「本は同じものが二つとない、取り換えのできないものなのだ」ということをいつも言われるのですが、作者にとって内から湧き出るものが読者まで届くのであればそれまでの規範から外れるものであれ間違いなく面白いのだという姿勢をもって本を作られてきた。ジョン・アーヴィングの最初の本は日本ではそれほど売れなかったそうです。でもそれを出すことによって多くの人の記憶に残り続けている。そのようなものとして本は作られてきたのだという一端を知ることができ、楽しい会でした。
講師のお二人、またご参加いただいた皆さま、またお話の機会が持てればと思っております。ありがとうございました。